営業力を強化するために、研修やロールプレイに投資する企業は少なくありません。しかし、投資に見合うだけの成果が定着せず、しばらくすると元の状態に戻ってしまうケースも数多く見られます。属人営業から本当に抜け出すためには、営業”力”そのものではなく、営業に至るまでの設計を疑う視点が欠かせません。
営業力を鍛える前に、疑うべきことがある
多くの企業が、営業成績を底上げする手段として、まず思い浮かべるのが営業研修です。トークスクリプトの精度を上げる、ロールプレイで実践力を鍛える、クロージングのテクニックを学ぶ。こうした取り組みは決して無駄ではありませんが、それだけで数字が安定して伸び続けるかというと、必ずしもそうではありません。
ある企業では、外部講師を招いた営業研修を数か月にわたって実施しました。受講直後は担当者のモチベーションも高く、一時的に成約率が上がる場面もありました。しかし数か月後には、研修前とほぼ変わらない水準に戻っていた——という声が聞かれます。
投資した費用や時間が無駄になったわけではありません。しかし、成果が定着しなかったという事実は、鍛えるべき対象そのものが違っていた可能性を示しています。
私自身、複数の事業のプロモーションに関わる中で、この「研修しても数字が戻ってしまう」という相談を、業種を問わず数多く受けてきました。共通しているのは、研修の内容そのものが悪かったわけではなく、鍛えた技術を発揮する「場」の設計が、そのままになっていたという点です。
もう一つ、よく見かける場面があります。ある現場では、新しく入った担当者向けに手厚いマニュアルを整備していました。トークの言い回しや商品知識は細かく記載されています。
ところが、どの情報をどの順で出すかという肝心の部分は、「先輩の背中を見て覚える」ままでした。結果として、同じマニュアルを読んでいるはずの新人の間でも、育つ早さに大きな差が出ます。これは本人の能力差というより、再現すべき「順序」が言葉になっていないことの表れです。
では、なぜ研修の効果は時間とともに薄れてしまうのでしょうか。それは、研修が鍛えるのが担当者個人の「その場で判断する力」であり、判断の土台となる流れそのものは現場に残らないからです。土台が変わらなければ、個人の頑張りはやがて元の水準へと引き戻されます。
その答えは、営業の「中身」ではなく、営業の「手前」にあるというのが、本稿でお伝えしたい視点です。
クロージングでなく、その手前を設計する
ここで大切になるのが、営業の場に立つ前の準備です。大切なのは、クロージングのトーク技術ではなく、誰に・何を・どの順序で伝えるかという、営業の場に立つ前の準備そのものを設計することです。
飲食店の味を決めているのは、接客中の会話の巧拙ではなく、開店前の仕込みの質だといわれます。素材の下処理や出汁の取り方といった、客からは見えない工程が、実際に提供される一皿の完成度を左右します。営業も同じで、成約という「一皿」の質を決めているのは、営業の場に立つ前の設計という「仕込み」の部分です。
どれほど接客の腕を磨いても、仕込みが整っていなければ、その日の味は安定しません。営業も同様に、話す技術をいくら磨いても、その手前の設計が整っていなければ、成果は担当者の当日のコンディション任せになってしまいます。
ここで重要なのは、この事前の設計とクロージングの技術を対立させて捉えないことです。両者は、どちらか一方があれば十分というものではなく、整った仕込みの上に、担当者ごとの伝え方の工夫が乗ることで、初めて安定した成果につながります。
順序としては、仕込みを整えることが先にあるべきだ、というのが本稿の主張です。
別の言い方をすれば、この事前の設計は建物の設計図に近いものです。設計図がないまま現場で組み立てを始めれば、腕の良い職人がいる日は形になっても、担当が替われば仕上がりは変わってしまいます。図面があって初めて、誰が担当しても一定の品質が保たれます。
ここで、「うちの商材は複雑だから、事前に順序など決められない」という反論があるかもしれません。しかし、複雑な商材ほど、相手が理解できる順序を設計する価値は大きくなります。なぜなら、複雑さを担当者の即興に委ねるほど、伝わり方のばらつきは大きくなるからです。
ただし、設計といっても、すべてを細部まで固める必要はありません。相手の段階に応じた大きな流れさえ言葉にしておけば、細かな言い回しは担当者ごとの工夫に委ねてかまいません。固めるべきは順序であり、一言一句ではないという点は、押さえておきたいところです。
何を・誰に・どの順で伝えるかを事前に決めておく
この事前の設計の中心にあるのは、目の前の相手が今どの段階にいるのかを見極め、その段階にふさわしい情報を、ふさわしい順序で渡す準備をしておくことです。初めて接点を持った相手と、すでに複数回やり取りを重ねた相手とでは、必要とする情報も、響く伝え方もまったく異なります。
この準備を担当者個人の記憶や経験に任せてしまうと、同じ見込み客であっても、対応する人によって伝わる順序が変わり、結果として受け取る印象や納得感にばらつきが生まれてしまいます。
逆に、この準備があらかじめ整理されていれば、担当者はその場で情報を組み立て直す負担から解放されます。相手の状況を把握することと、次に何を伝えるかを判断することを、同時にこなす必要がなくなるためです。
具体的な場面で考えてみます。初回の問い合わせに対して、いきなり料金表と契約条件を送るのと、まず相手が何に困っているかを一度受け止めてから情報を出すのとでは、同じ商材でも受け取られ方が変わります。前者は情報の提供にすぎず、後者は相手の段階に合わせた設計です。
なぜ段階の見極めが重要かというと、人は自分の状況に合っていない情報を受け取ると、その情報の価値を正しく評価できないからです。まだ課題が言語化できていない相手に解決策を並べても、それを受け止める土台がまだできていません。
営業担当の仕事は”説得”でなく”整理された選択を渡す”こと
営業の場に立つ前の設計という発想に立つと、営業担当者の役割も変わってきます。相手を言葉で説得することではなく、相手がすでに整理された選択肢の中から、自分にとって納得できる判断を下せるように、情報を整えて手渡すことが役割になります。
心理学の分野では、選択肢や情報の量が多すぎると、人はかえって意思決定がしづらくなることが指摘されています。心理学者バリー・シュワルツ氏が提唱した「選択のパラドックス」と呼ばれる考え方では、選択肢が増えるほど満足度や決断力がむしろ下がる傾向があるとされています。
たとえば、料金プランを5つも6つも並べ、それぞれに細かなオプションを添えて提示したとします。一見すると、これは親切で丁寧な対応に思えるでしょう。しかし受け手からすると、比較すべき基準が多すぎて、かえって「持ち帰って検討します」となりやすくなります。
情報を整理し、順序立てて渡すというこの準備は、相手の意思決定の負荷を下げるための設計だと言い換えることができます。
なぜなら、判断材料が整理されないまま大量に渡されると、相手は何を基準に決めればよいかが分からなくなり、決断そのものを先延ばしにしてしまうからです。営業担当者が担うべきなのは、この負荷を減らし、相手が自分の意思で選べる状態を整えることだといえます。
もっとも、選択肢を減らせばよいという単純な話ではありません。大切なのは数そのものよりも、相手が何を基準に選べばよいかが整理されているかどうかです。基準さえ明確であれば、選択肢がいくつかあっても、人は迷わず選べます。
営業研修をしても数字が変わらない理由
営業の場に立つ前の設計という視点を踏まえると、研修をしても数字が変わらない理由が見えてきます。研修は担当者個人のスキルを底上げする施策であり、担当者が「その場で不足を補う力」を伸ばすことには役立ちます。
しかし、伝える情報の順序や、相手の段階に応じた設計そのものが整理されていなければ、結局は担当者個人の感覚に頼った運用に戻ってしまいます。
実際、優秀な営業担当者が異動や退職で現場を離れた途端、それまで安定していた数字が目に見えて落ち込んだ、という話は珍しくありません。研修で培った個人のスキルは、その人と一緒に現場を離れてしまいます。一方で、営業の前段階として整理された流れは、担当者が変わっても引き継ぐことができます。
「あの人が抜けたら数字が落ちた」という経験に心当たりがある方は、少なくないのではないでしょうか。それは担当者の力量が足りなかったからではなく、その力量に頼らざるを得ない設計のまま、運用を続けてきたことの結果だと捉えることができます。
優秀な担当者のトークを共有しても再現しない
よくあるのが、成績の良い担当者の商談を録画し、チーム全体で共有する取り組みです。これ自体は有効な試みですが、映像を見ただけでは、その担当者が「なぜその順序で話したのか」という判断の理由までは伝わりません。表面的な言い回しだけが真似され、肝心の設計は共有されないまま終わってしまいます。
では、なぜ個人のスキルは事業の資産になりにくいのでしょうか。それは、スキルが担当者の頭の中にある暗黙知のままだと、その人が現場を離れた瞬間に持ち出されてしまうからです。言葉にして共有された流れだけが、担当者が入れ替わっても組織に残り続ける資産になります。
研修に投資すること自体は否定されるものではありません。ただし、研修で身につけたスキルを発揮する土台——営業の場に立つ前の設計が整っていなければ、その効果は担当者個人の中にとどまり、事業全体の資産として積み上がっていかないという点は、押さえておく必要があります。
順序を変えるとすれば、まず営業の場に立つ前の設計を整理し、その土台の上で研修による個人のスキルアップを重ねるという流れになります。土台が先、技術の上乗せが後という順番を守るだけで、同じ研修投資でも定着のしやすさは変わってきます。
属人営業から抜け出す最初の一歩
属人営業から抜け出すための最初の一歩は、大掛かりな仕組みを一から構築することではありません。まずは、目の前の営業プロセスの中で、「誰が」「いつ」「何を伝えているか」を、一度言葉にして書き出してみることです。
たとえば、初回の問い合わせから成約に至るまでのやり取りを振り返り、どの段階でどんな情報を伝えているのかを時系列で整理してみます。すると、ある担当者は早い段階で価格の話をしているのに、別の担当者は課題のヒアリングに時間をかけてから伝えている、といった違いが見えてくることがあります。
この違いこそが、成果の差を生んでいる要因の一つです。
この作業は、営業担当者一人だけで完結させるよりも、複数の担当者で持ち寄り、互いのやり方を比べてみると、より効果的です。成果を上げている担当者が、無意識のうちにどんな順序で情報を渡しているのかが言語化できれば、それは特定の個人の感覚から、誰もが参照できる設計へと変わる第一歩になります。
実際に書き出してみると、想像以上に人によってやり方が違うことに気づく場面は少なくありません。ある担当者は最初に事例を見せ、別の担当者は先に不安の解消から入る。どちらが良い悪いではなく、その違いが成果の差とどう結びついているかを見ることに意味があります。
言葉にして初めて、どこに設計の余地があるのかが見えてきます。営業力を鍛える前に、まずは今の営業プロセスを一度言語化してみる。これが、属人営業から抜け出すための、もっとも小さく、もっとも確実な一歩になります。
うまくいった商談だけでなく、つまずいた商談も言葉にする
言語化の対象は、うまくいった商談だけではありません。むしろ、失注した商談を振り返り、どの段階で相手の関心が離れたのかを言葉にするほうが、設計の余地は見つけやすいことがあります。
なぜなら、うまくいった理由は「相性が良かった」で片づけられがちなのに対し、つまずいた箇所はどこで何が起きたかが具体的に残るからです。つまずきの記録は、次に何を組み替えるべきかを示す、もっとも実用的な手がかりになります。
この段階では、完璧な言語化を目指す必要はありません。最初は粗い箇条書きでも、「自分たちは何を・どの順で伝えているか」が目に見える形になれば十分です。精度は、後から何度も見直す中で少しずつ上げていけばよいものです。
なお、この段階では、伝える順序をどう組み替えるべきか、ヒアリングの内容をどう設計し直すかといった具体的な実装にまで踏み込む必要はありません。まずは現状を言語化し、「なんとなく上手くいっている・いっていない」という感覚を、目に見える形に変えることから始めれば十分です。
総括:営業力でなく、営業に至る設計を変える
ここまで見てきたように、営業成果を安定させる鍵は、担当者個人の営業力ではなく、営業の場に立つ前の設計、つまり誰に・何を・どの順序で伝えるかという準備にあります。
研修でスキルを磨くことも意味を持ちますが、それだけに頼っている限り、担当者が変わるたびに成果も揺れ動きます。営業力でなく、営業に至るまでの設計を変えることこそが、属人営業から抜け出すための本質的な一歩です。
この発想は、営業という一工程だけにとどまりません。集客・教育・販売という一連の流れ全体を、個人の力量ではなく仕組みとして設計できたとき、事業は特定の誰かに依存せず、安定して成果を積み上げられる状態に近づいていきます。
集客・教育・販売の3つを設計できるかどうかが、事業が特定の個人に依存するか、仕組みとして自立するかの分かれ目になるといえます。
最後に、明日からの具体的な一歩をひとつ挙げておきます。次の商談を終えたら、その日のうちに「相手にどの順で何を伝えたか」を数行でメモに残してみてください。この小さな記録が積み重なったとき、あなたの営業は個人の感覚から、見える設計へと変わり始めます。
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