良い商品を持っているのに、その価値が思うように伝わらない。マーケティングを学び始めると、多くの人がマーケットインとプロダクトアウトという二つの言葉の前で立ち止まります。
顧客の求めるものを作るのか、自分の信じるものを作るのか。本稿では、この二択に見える対立を、価値の翻訳という一つの視点でどう解くのかを整理してお伝えします。
マーケットインとプロダクトアウト、どちらが正しいのか
マーケティングの教科書を開くと、たいてい最初のほうにこの二つの言葉が並んでいます。マーケットインは顧客の需要を起点に商品を作る考え方、プロダクトアウトは作り手の技術や信念を起点にする考え方です。
ここで多くの人が「では、自分はどちらの立場を取るべきか」と考え始めます。顧客の声に従うのが正解なのか、それとも自分のこだわりを貫くのが正解なのか。二つのうち一つを選ぶ問題として受け取ってしまうのです。
けれども、この二つは本来、選び取るための対立軸ではありません。どちらも、価値を世の中へ届けるという一つの営みを、違う角度から眺めているだけだからです。
腕のいい料理人が新しい一皿を考える場面を思い浮かべてみます。自分の技術と美意識で最高の味を追求する姿勢は、プロダクトアウトに見えるでしょう。
しかし同時に、客がどんな場面でその皿を口にするのかを想像しているなら、そこにはマーケットインの視線も混ざっています。二つの目は、現場ではひとつながりに働いているのです。
なぜ教科書は、あえて二つを対立軸として並べるのでしょうか。それは、考え方の違いを際立たせて理解しやすくするための、説明上の便宜だからです。
ところが、この分かりやすい対比が、実務では思わぬ副作用を生みます。二つを別物として覚えた人が、現場でもどちらかを選ばなければと構えてしまうのです。
あらかじめ断っておくと、本稿が伝えたいのは、二つを足して混ぜればよいという折衷案ではありません。両者を別々の役割として捉え、あいだをつなぐための一段上の見取り図です。
この見取り図を手にすると、いま自分がどちらの目で商品を見ているのかを、落ち着いて確かめられます。迷いの多くは、対立という構図そのものから生まれているからです。
価値を生んでいる人ほど、二つの視点を無意識に行き来しています。二択として捉えた瞬間に、この自然な往復が見えなくなってしまいます。
では、あえてどちらか一方に振り切ると、事業には何が起きるのでしょうか。次章では、両極端がたどる行き詰まりの構造を見ていきます。
一方に振り切った事業が行き詰まる理由
まず、マーケットインに振り切った場合を考えます。顧客の要望をすべて正解とみなし、言われるままに商品や機能を足していく進め方です。
一見すると、顧客満足に忠実な誠実な姿勢に見えます。ところが、要望を集めるほど商品の輪郭はぼやけ、あれもこれもと詰め込まれた総花的なものになっていきます。
現場では、こんな場面が起こります。顧客の一言ごとに仕様を変え、気づけば当初の強みが薄まっている。御用聞きに徹した結果、何屋なのか分からない商品ができあがるのです。
そもそも顧客は、自分の欲しいものを正確に言葉にできるとは限りません。目の前の不満は語れても、まだ見ぬ解決策までは言葉にできないからです。要望の丸のみは、この限界を見落とした進め方だといえます。
もっとも、顧客の声を聞くこと自体が誤りなのではありません。問題は、聞いた声をそのまま設計図にしてしまう点にあります。声は素材であって、完成図ではないからです。
反対に、プロダクトアウトへ振り切るとどうなるでしょうか。自分の技術やこだわりだけを頼りに、市場を見ずに突き進む進め方です。
この危うさは、古くから経営学で指摘されてきました。ハーバード・ビジネススクール教授のセオドア・レビットは、1960年の論文でマーケティング近視眼という概念を示しています。事業を自社の商品目線で狭く定義しすぎると、変化する顧客の需要を見落とすという指摘です。
この整理が本稿の論点を裏づけるのは、作り手の論理だけで突き進む姿勢が、顧客の変化から目をそらす危険を含むからです。どれだけ品質が高くても、求められる文脈からずれた商品は選ばれません。
技術力の高い作り手ほど、この近視眼に陥りやすいところがあります。自分の腕への確信が強いぶん、市場の反応を「良さの分からない客のせい」と片づけてしまいがちだからです。
たとえば、素材も製法も一級品でありながら、売り場で埋もれてしまう商品があります。作り手は品質を熱心に語りますが、その良さを客が判断できる手がかりが、どこにも置かれていないのです。
ここで一つ、境界線を引いておきます。市場の声だけを頼りにしていては、生まれない価値もあります。まだ誰も見たことのない解決策は、顧客の要望リストには載っていないからです。
だとしても、その確信を独りよがりで終わらせないために、届ける側の目が要ります。革新的な商品ほど、なぜ必要なのかを相手の言葉で語り直す手間が欠かせないのです。
つまり、どちらの極端も同じ壁にぶつかります。片方の目をつぶった瞬間に、価値が相手に届かなくなるという壁です。だからこそ、二つを対立ではなく補い合う関係として捉え直す必要があります。
二つをつなぐのは「価値を顧客の言葉に翻訳する」視点
では、作る目と届ける目は、どうすれば両立するのでしょうか。私がこの往復を説明するときに使うのは、翻訳という比喩です。
海外の優れた文学作品も、原文のままでは多くの人に届きません。翻訳者が、その価値を読み手の言語へ移し替えて初めて、遠い国の物語が手元で味わえるようになります。
商品も、これと同じ構造を持っています。作り手が込めた価値は、いわば専門家の言語で書かれた原文です。それを顧客がふだん使っている言葉へ移し替える作業が、届けるという工程の中身なのです。
マーケティングとは、商品に宿る価値を、顧客の言葉へ翻訳する営みにほかなりません。ここでは、作り手の信念も、顧客の需要も、どちらも捨てずに残ります。
この見方に立つと、二つの言葉の関係が変わって見えます。プロダクトアウトは翻訳される原文を生み、マーケットインは翻訳先の言葉を教えてくれる。片方だけでは、翻訳という作業そのものが成り立ちません。
翻訳者が原文を勝手に書き換えないように、価値の翻訳でも商品の芯は変えません。変えるのは伝え方であって、中身そのものではないからです。この一線を引けるかどうかが、先ほどの御用聞きとの分かれ目になります。
この比喩の便利なところは、二つを優劣ではなく役割の分担として捉え直せる点にあります。原文がなければ訳すものがなく、訳がなければ原文は読まれません。
もう一歩踏み込むと、翻訳には二つの方向があると分かります。作り手の価値を顧客の言葉へ訳す方向と、顧客の悩みを商品の改良点へ訳し戻す方向です。
前者が伝え方の設計なら、後者は作り方への反映にあたります。この双方向のやり取りが回り始めると、マーケットインとプロダクトアウトは、もはや切り離せない一つの循環になっていきます。
そして、翻訳先の言葉を正確に知るには、顧客がどんな場面で何に困っているのかを地道に観察するしかありません。ここが、市場を調べるという作業と地続きになる部分です。
「良いものを作れば伝わる」が止まる場所
ここまで読んで、心のどこかで引っかかりを覚えた方もいるかもしれません。良いものを作りさえすれば、価値はいつか自然に伝わるはずだ、という思いです。
その気持ちは、とてもよく分かります。手間をかけ、技術を磨いて生み出したものには、語らずとも伝わってほしいという願いが宿るからです。
ところが実際には、品質への自信が高い作り手ほど、発信が専門用語で埋まっていく傾向があります。素材の等級、独自の製法、細部へのこだわり。作り手にとって誇りである言葉が、そのまま並べられていくのです。
顧客の側から見ると、その言葉の多くは意味の取れない原文のまま届きます。価値が高いことと、価値が伝わることは、まったく別の問題なのです。
ここで、こう反論したくなるかもしれません。世の中には、宣伝もせずに評判だけで売れている名品もあるではないか、と。
たしかに、そうした例は存在します。ただしその多くは、使った人が価値を自分の言葉で語り、口コミという形で翻訳を肩代わりしてくれているのです。翻訳が要らないのではなく、誰かが代わりに訳しているだけだといえます。
だとすれば、その口コミが生まれる前の段階では、やはり誰かが最初の翻訳を担う必要があります。作り手自身がその役を引き受けるのが、いちばん確実な近道なのです。
もう一つ見落とされやすいのは、翻訳を怠ったツケが、価格競争という形で回ってくる点です。価値が伝わらなければ、顧客は判断の基準を値段にしか求められなくなります。
本当は品質で選ばれるはずの商品が、翻訳の欠落によって、安さだけで比べられる土俵に引きずり下ろされてしまう。これは、良いものを作る人にとって大きな損失です。
「良いものを作れば伝わる」という思いは、翻訳の工程を省いてよい理由にはなりません。むしろ、良いものであるほど、丁寧な翻訳を必要とします。
ここで注意したいのは、これが作り手を責める話ではないという点です。自分が深く理解している事柄ほど、相手も分かっているはずだと感じてしまう。これは誰にでも起こる自然な錯覚だからです。
伝わらないのは商品が悪いからではなく、翻訳という一手間がまだ残っているからです。そう捉え直せると、次にやるべきことがはっきり見えてきます。
自分の商品を翻訳してみる
では、価値の翻訳は、具体的にどこから始めればよいのでしょうか。おすすめしたいのは、いま使っている商品説明を一度、顧客の言葉で書き直してみることです。
多くの商品説明は、作り手の言葉で書かれています。機能や仕様、こだわった工程が並ぶ、いわば原文の状態です。これを、顧客が自分の悩みを語るときの言葉へ置き換えていきます。
たとえば「独自アルゴリズムで最適化」という一文があるとします。これを顧客の言葉に翻訳すると、「毎朝の面倒な設定作業が、もう要らなくなる」といった表現に変わります。語っている中身は同じでも、届く相手はまるで変わるのです。
この置き換えは、形のある商品にかぎった話ではありません。目に見えないサービスでも、同じように翻訳が効いてきます。
たとえば「経営戦略の全体最適を支援します」と掲げる代わりに、「社長が現場を離れても回る体制づくりを手伝います」と訳してみる。相手が日ごろ口にする困りごとの言葉へ、一歩近づけるわけです。
この翻訳先の言葉は、机の上では思いつきません。顧客が実際にどんな言葉で悩みを検索し、どんな不満をレビューに書き込んでいるのか。その生の言葉を集めるところから、翻訳の材料が手に入ります。
具体的な集め方は、対応する記事「個人でもできる市場リサーチ」で扱っています。高額なツールがなくても、検索やレビューから顧客の言葉は十分に拾えます。翻訳の精度は、この材料の量と質しだいなのです。
ここで一つ線を引くと、顧客の言葉に翻訳することと、顧客の要望に流されることは違います。翻訳するのは伝え方であって、商品の芯までは明け渡さない。この区別さえ守れば、こだわりを保ったまま伝わりやすさを上げられます。
もう一つ気をつけたいのは、翻訳を意識するあまり、言葉を飾りすぎてしまう失敗です。誇張された表現は、一度は目を引いても、実物との落差で信頼を損ないます。
目指すのは、盛ることではなく、正確に訳すことです。商品が本当に備えている価値を、相手が受け取れる言葉へ置き換える。その誠実さが、長く選ばれ続ける土台になります。
最初の一歩は、商品説明を一文だけ、顧客の悩みの言葉に訳し直してみることです。その一文の手応えが、翻訳という作業の効き目を教えてくれます。
総括:作る力と届ける力は、翻訳でつながる
ここまで見てきたように、マーケットインとプロダクトアウトは、どちらかを選ぶ二択ではありませんでした。作り手の価値という原文と、顧客の言葉という翻訳先。その両方があって初めて、価値は相手に届きます。
一方に振り切れば、総花的な商品になるか、伝わらない独りよがりになるか、どちらかの壁にぶつかります。二つを対立ではなく、翻訳を挟んでつながる関係として捉えることが、この行き詰まりを解く鍵でした。
作る力と届ける力は、価値を顧客の言葉に翻訳するという一点で、一つにつながります。良いものを作る力を持つ人ほど、この翻訳の視点を持つ意味は大きいといえます。
そして、この翻訳は集客・教育・販売という導線の、あらゆる場面で繰り返されます。どの一場面でも、原文のまま差し出すか、相手の言葉に訳すかで、届き方は大きく変わるのです。
大切なのは、自分がいまどちらの目に偏っているかを、ときどき点検する習慣です。作ることに没頭している時期ほど届ける目は曇り、反応を追う時期ほど作る芯は揺らぎやすくなります。
良い商品や確かなサービスを持っているのなら、あとはその価値をどう訳すかだけの問題です。翻訳という視点を一つ手にするだけで、伝わらなかった価値は、少しずつ相手のもとへ届き始めます。
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