WEBマーケティングは独学できるか。届く人と届かない人

WEBマーケティングの基本

WEBマーケティングを独学で身につけられるかどうかは、調べるほど答えが割れる問いです。実のところ、分かれ目は才能でも情報量でもなく、二つの条件にあります。本稿ではその条件を切り分け、自分がどちら側にいるかを確かめられるところまで整理します。

「独学では無理」と言われる理由はどこから来ているか

挫折した話のほうが残りやすい

独学について調べると、うまくいかなかった話に多く行き当たります。半年かけて教材を集めたが何も変わらなかった、という形の体験談です。

この話は語られやすい形をしています。使った時間と金額がはっきりしていて、結果が出なかったという結論も明快だからです。

一方で、独学で組み上げた人はその過程を細かく語りません。順序を整えただけの話は、体験談として起伏に乏しいからです。

こうして、目に入る話のほうが一方へ寄ります。この寄りが、独学は無理だという印象を作っています。

実際には、独学で組み上げた人も一定数います。ただその話は、体験談として消費されないため見つけにくいのです。

そして、この偏りは調べるほど強まります。うまくいかなかった話ほど検索で見つかりやすいためです。

語っている側の多くが、教える立場にいる

もう一つの事情は、誰が語っているかにあります。独学の限界を説く記事は、たいてい何かを教える側から書かれています。

これは不誠実だという意味ではありません。教える立場にいる人は、独学でつまずいた人と多く会うため、その像が実際より濃く見えるという話です。

ただ、その像には偏りが入ります。独学で組み上げた人は、教える側のところへ相談に来ないため、母数から抜け落ちます。

だからといって、この言説が丸ごと外れているわけでもありません。独学では届かない場面が実際にあります。

ここを否定して片づけると、当てはまっている人が損をします。届かない条件にいる人へ「やってみればよい」と言うのは、無責任な励ましにしかなりません。

届かない場面が本当にあるからこそ、この言説は残り続けています。まずそちらから見ていきます。

実際に、独学では届かない場面

つなぎ目の情報が、どこにも書かれていない

まず、独学が届かない側から見ます。二つあり、どちらも情報量では埋まりません。

一つ目は、断片をつなぐ情報が手に入らない場合です。ここは情報を増やしても埋まりません。

個別のテクニックは、それ自体の中に接続の情報を持っていません。SNSの投稿術を学んでも、その投稿が集客のどの段階を担い、次にどの接点へ人を渡すのかは書かれていないからです。

つなぎ目は、個別の解説がどれも扱わない領域です。だから解説を何本見ても、そこだけは埋まりません。

この状態で学び続けると、手元には材料だけが積み上がります。板もネジも金具も揃っているのに、完成の図がないまま置かれている状態です。

厄介なのは、学んでいる実感だけは高まる点でしょう。実感が、組み上がっていないという事実を覆い隠します。

この積み上がりは、時間が経つほど動かしにくくなります。量が増えるほど、どれをどこで使うかの判断も重くなるためです。

テクニックの成立条件が見えない

二つ目は、手法が効く前提が分からない場合です。こちらも情報量では解決しません。

どのテクニックにも、それが効くための条件があります。ある事業で成果を出した広告の型が、別の事業では空振りに終わる。手法が誤っていたのではなく、条件の違う場所へ型だけを持ち込んだためです。

ところが解説の側は、条件を書きません。書き手にとっては当たり前の前提だからです。

そして条件が書かれていない以上、外した理由も分かりません。効かなかったとき、手法を疑うか自分を疑うかの二択になり、どちらも次につながらないのです。

この二つのどちらかに当てはまるなら、「独学では無理」という言説はその人にとって正しいことになります。

逆に、二つとも当てはまらないなら、その結論を持ってくる根拠はありません。では、組み上がるのはどんなときでしょうか。

それでも独学で組み上がる条件

全体像を先に持っているか

いま挙げた二つを裏返せば、それがそのまま条件になります。一つ目は、集めはじめる前に全体像を持っていることです。

全体像といっても、精緻な図である必要はありません。集客・教育・販売という三つの工程が、この順につながっているという程度で足ります。

この粗さでも効きます。新しく学んだことを、三つのどこに置くかが決まるからです。

置き場所が決まると、つなぎ目の情報が自分の側で補えます。個別の解説が書いてくれないものを、地図の上で自分が埋めることになります。

全体像を持つのに、費用も時間もほとんどかかりません。三つの工程の名前と順番を知っているだけで、器としては働きはじめます。

そして全体像は、後から精度を上げられます。最初は三つの工程を知っているだけでよく、学ぶほど各工程の中身が細かくなっていきます。

原理を土台に置いているか

二つ目の条件は、原理を先に押さえていることです。ここが手法の成立条件を見抜く目になります。

媒体の仕様や流行の手法は移り変わりますが、人が何に心を動かし、どういうときに動かないかという部分は動きません。

原理を持っていると、手法を見たときに「これは何が効いているのか」を分解できます。分解できれば、自分の場面で成り立つかどうかも判定できます。

逆に原理を持たないまま手法だけを追うと、流行が変わるたびに学びが振り出しに戻ります。土台のない知識は、その場では動いても積み上がらないためです。

この二つが揃えば、集める情報が同じでも結果が変わります。なぜ順序でここまで変わるのかを、次に見ていきます。

なぜ条件で結果が変わるのか

全体像は、断片を集めた先には立ち上がらない

ここで反論が浮かぶかもしれません。数多く触れていけば、全体像もいずれ自然に見えてくるのではないか、という考えです。

ただ、順序が逆になっています。全体像は、断片を大量に集めた先に現れるものではありません。

理由は単純で、断片のどれもが、自分の置き場所を教えてくれないからです。置き場所を教えない要素をいくら並べても、並び方は決まりません。

地図は、歩き回った距離からは描けません。先に持っているから、歩いた場所を書き込めるという順序になります。

多くの情報に触れること自体に価値がないという話ではありません。ただ、それは地図を手にした後の話になります。

そして地図は、精緻である必要もありません。粗い地図でも、置き場所を与えるという役割は果たします。

置き場所の決まった知識だけが残る

もう一つ、順序が結果を変える理由があります。定着の仕方が違うためです。

ばらばらの点として覚えた知識は、必要な場面で引き出せません。どこにしまったかが分からないからです。

地図の上の一点として覚えた知識は、周りとのつながりごと思い出せます。同じ量を学んでも、手元に残る量が変わるのはこのためです。

つまり分かれ目は、情報の量ではありません。受け止める器が先にあるかどうかという一点になります。

そして器は、後から作り直すこともできます。すでに集めたものを捨てる必要はなく、置き直せば足ります。

自分がどちら側にいるかを仕分ける

手元の学びを三つの箱に仕分ける

条件の話はここまでにします。ここからは紙を使って、自分がどちら側かを判定します。

用意するのは紙一枚です。これまでに学んだことを、三つの箱に仕分けていきます。

一つ目の箱は全体像に関するもの、二つ目は原理に関するもの、三つ目は個別のテクニックです。教材の名前でも、記事のテーマでも構いません。

思い出せる範囲でよく、網羅する必要もありません。かかるのは15分程度です。

入れる基準も細かくしません。全体の流れの話なら一つ目、人がどう動くかの話なら二つ目、やり方の話なら三つ目へ入れます。

思い出せないものは、書かなくて構いません。思い出せない時点で、その学びは置き場所を持っていなかったということです。

偏りの読み方と、次にやること

仕分け終わったら、三つの箱の量を見比べます。結果は三つに分かれます。

三つ目だけが膨らんでいるなら、届かない側にいます。集める手をいったん止めて、空いている箱から埋めることが次の一手です。

一つ目と二つ目に何か入っているなら、組み上がる側にいます。この場合は、いま持っているテクニックを地図の上へ置き直す作業に移ります。

三つとも空に近いなら、まだ学び始めた段階です。順番としては、一つ目の箱から手をつけます。

多くの場合、三つ目だけが膨らんだ形になります。これは怠けた結果ではなく、テクニックの解説が最も多く流通しているという流通量の偏りが、そのまま手元に出ているだけです。

三つのどれに当たっても、次の作業が一つに定まります。仕分けたまま宙に浮く結果が出ない点が、この手順の効き目です。

そして空いた箱を埋めるのに、新しい教材を買い足す必要もありません。すでに持っているものを、地図の側から読み直すだけで足りる場合が多くあります。

同じ本を、全体像を持ってから読み返す。同じ文章でも、器がある状態で読むと入り方が変わります。

それでも独学を選ばなくてよい場面

期限が先に決まっているとき

条件を満たしていても、独学以外を選んでよい場面があります。到達したい期限が先に決まっている場合です。

独学は、順序を自分で組み立てるところから始まります。その組み立て自体に時間がかかるため、期限が短いと間に合わないことがあります。

この場合に効くのは、順序が先に組まれているものを使うことでしょう。買っているのは情報ではなく、組み立ての手間です。

ただし、外から補った後も三つの箱は残ります。仕分けの作業自体は、どちらを選んでも無駄になりません。

見送る判断も設計のうち

独学を見送ると決めることは、後退ではありません。三つの箱を仕分けた結果として見送るのと、なんとなく不安で避けるのとでは、その後が違ってきます。

前者では、何が足りないかが分かっています。全体像が足りないのか、原理が足りないのか、どちらを外から補うのかも決められます。

仕分けた結果としての見送りは、次にやることが決まった状態です。確かめないまま避けているだけの状態とは、立っている場所が違います。

そして三つの箱は、一度作れば以後も使えます。新しく学んだことをどこへ入れるかを、その都度決めるだけになります。

この判断が習慣になると、集める段階から選別が働きます。置き場所のないものに手を伸ばさなくなるためです。

総括:分けているのは情報の量ではなく、順序

本稿では、WEBマーケティングを独学できるかを条件で切り分けました。「独学では無理」という言説は、挫折した話の残りやすさと、語り手の偏りから来ています。

実際に届かないのは二つの場面です。断片をつなぐ情報が手に入らない場合と、テクニックの成立条件が見えない場合になります。

裏返すと、そのまま条件が出てきます。集めはじめる前に全体像を持っていること。そして原理を土台に置いていることです。

この二つで決まる理由は、全体像の性質にあります。断片はどれも自分の置き場所を教えないため、集めた先から地図は立ち上がりません。先に持っているから、歩いた場所を書き込めます。

同じ量を学んでも手元に残る量が変わるのは、受け止める器が先にあるかどうかの差です。

今日できるのは、これまで学んだことを全体像・原理・テクニックの三つの箱へ仕分けることです。紙一枚あれば、15分ほどで終わります。

三つ目だけが膨らんでいたなら、集める手を止めて空いた箱から埋めます。一つ目と二つ目に何か入っていたなら、持っているテクニックを地図の上へ置き直します。

新しい教材を買い足す必要はありません。順序を整えるだけで、これまで集めてきた学びは、はじめて組み上がりはじめます。

次に読みたい記事——マーケティングの勉強は、何から始めるか

三つの箱のうち、一つ目と二つ目から埋めると決めたとして、次に問題になるのが並べ方です。全体像と原理の中にも、先に押さえるべきものと後でよいものがあります。

同じ内容でも、並べる順番が違えば身につく速さが変わります。その順番をどう決めるかについては、次の記事で詳しく扱っています。

▶ 「マーケティングの勉強は何から始めるか」を読む